ラムサール条約
私の希薄な知識によって書いているので
多少の歴史認識の食い違いもあると思いますが悪しからず。
我が、石川県で 最近河北潟をラムサール条約湿地帯に
申請しようという運動がありますが、
過去残念なことに日本でも2番目の大きさを誇った
潟だったのですが、遠く1851年から銭屋五兵衛が、
干拓事業を始め、毒薬投入事件後中断していた干拓事業が、
戦後昭和38年に復活し、23年の歳月をかけて
潟の3分の2も干拓してしまいました。
工事の中盤から農業政策も変革し、
ほとんど意味のない事業だったと思います。
現在は、農耕地を放牧場に切り替えて入植者たちを募りましたが、
その数も少なく廃墟と化した施設が目立ちます。
ただ単に雑草ばかりの空き地にすぎないことになりました。
もし潟が残っていれば、今でも多くの渡り鳥や野鳥が多く
生息している状況で、きっと日本でもTOPクラスの
野鳥の楽園になっていたかと思うと残念でなりません。
土建屋の手先になって始めた日本列島改造論など
我々は、よくだまされてきましたが、遠い未来に
何を残していくかよく考えなければならない。
ちなみに日本1の八郎潟も干拓されました。