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陥落

4月1日からリニューアルしたとたん

総合順位14000台から突然23000にダウン

何があったのかさっぱり分かりません。

 

どなたか教えてください。

文章の悪いのは分かっていますが?帰り道

専門用語1

雪幻2

専門用語1


専門用語(この言葉が適当かどうか分からないが)
その世界に入らなければ、聞けない言葉というモノがある。


山登りの世界にも数多くある。その中でも冬に使う言葉で、
ラッセル泥棒という言葉がある。


そもそもラッセルとは?一般にラッセルといえば、
ラッセル機関車といって雪国で、大雪が降ったときに
鉄道線路を雪かきする機関車のことで、
山登りの世界では、人間が大雪の誰も通っていない
所の雪をかき分けて進む行為である。


従って先行する者は、かなりの体力消耗を必要とする。
その後ろを行く2番手3番手と後を行くにしたがって
体力的に楽になる。


山では、数人の仲間やグループでいくと、みんなが交代で
その厳しい先頭を交代し進む、その後ろから行動しその先行作業を
回避し他人にやらせ山に登ることをラッセル泥棒という、


以前”岳人”という雑誌にその事を克明に書いて投稿してある文章を見たが
馬鹿な文章でありそんな文章を載せる雑誌社のレベルの低さにあきれた。


好きで山に行っているのに、それに体力消耗を惜しんでのことなら
山に行かないで家にいてこたつに当たっていればよいのに、いちいち
後ろを振り向いて後続の人間に腹を立て、帰ってきてやり場のない気持ちを雑誌に投稿する。

 


じつにつまらない、くだらない、そんな人間に山を登る資格はない

知恵

知恵


最近この言葉をあまり聞かないが、建築には、
この知恵を使ったことがよくある。

そもそも先人が、失敗を繰り返し試行錯誤の上つかんで伝えたモノが多い
その中で感心したモノは、部屋の天井の中央を若干上げる。


職人の言葉を借りると吊ると表現するが、そもそもなぜ上げるのか
人間の視野によると天井は、水平にしておくと下がって見えるらしい


その錯覚を修正するために部屋の大きさによって例えば8畳くらいの大きさ
であれば、15mm位上げるらしい。他にも建具の鴨居なども若干上げる。
これは、木の性質や自重によって下がる分少し上げておくそうである。


有名なのは、ヨーロッパの古代建築に使われている”エンタシス”
これは、やはり人間の目の錯覚解消のため柱の中央にふくらみを持たせる
真っ直ぐだとくびれて見えるので中央を太くし、人の目に真っ直ぐに見えるようにしてある.

 


伝統というか知恵大切にしたいモノである。

                      レンガ造り

BLOGを書くこと

BLOGの本来の意味を理解せずに書いていると思う。


しかし以前から自分の考えを誰かに伝えたかった
ふしがあったので、回を重ねてくると案外楽しい。


気の向いたときに、自分の考えをとりあえずはき出す。
その日の題を考えるのも楽しい。


最近は、思いついたらメモ帳に書き殴って
後で少し手を加えてBLOGにながす。


ただ躊躇するのは、画像を加えているのだが、
その画像を選ぶのが少し面倒なこと

                    沖縄19

サッカー3

私なりに日本のサッカー、特に日本代表の試合観戦記をかきます。


そもそも運動音痴の私にとってサッカーは、ある時期までは、
ほとんど無縁のスポーツであり、興味の対象外でした。


 それが、10年ほど前に子供が、地域のクラブサッカーに入会した
のをきっかけに大いに関わることになりました。その後2.3年たって
Jリーグがはじまり、たまにテレビで観戦することになりました。


 ルールは、子供の世話のために4級審判の資格習得のため講習を受けたので
若干ですが分かり、テレビを見ていてもそれなりに熱くなれます。
 難しい技術や戦術は、分かりませんが、見ているといらいらします。


子供がやっていたとき感じたときと同じように、ボールを取りに行くのが遅い。
守備側エリヤで、ボールを持っているとき(いわゆるパス回しの一過程)に
ボーとしていて相手に滑り込まれボールを奪われる。攻撃の序盤に気のないパスをして
安易にボールを奪われる。


 要するに45分間集中力と体力がもたない。で油断したり無意識に休む
そこをつけ込まれる。

なぜか?

 

多分私の個人的な見解だが、選手の日頃の
Jリーグのプレイにあると思う。

 

1年間の公式試合が多すぎるので試合で
体力維持の調整をやってしまう。

 

要は、公式試合中に手を抜きながら体力温存に
よって翌日その次と長持ちできるように持って行くそのくせが、抜けないで
国際試合に臨む、相手は、もっと高いモチベーションで試合に臨むから
負ける。               滑走

ストレス3

ストレスがたまってくる。                         沖縄11

 


いつもかも口説いているわけにはいかない。
そんな時廻りにそれを聞いてくれる人間がいると助かる。
それも同じ立場で、あった方がいい


 幸いにも私の廻りには、そんな人がいる。


相手も同じようなことでストレスを感じていたので、
お互いたまっていた不満を機関銃のごとくまくし立てた。
おかげですっきりしたと同時にそのことでは、同じ見方を
しているという連帯感も感じた。


 遊びでもストレスのようなモノを感じる。

 

今やっている
山スキーで、少しでもうまく滑りたいと思うのだが、なかなかうまく
いかない。

 

5年前から始めたのだが、それより2年遅れに始めた伴侶に
今は、先行されているがしかしかえってそれが、私の身近な教師となり
技術習得にプラスになっている。うまくいかないことを素直に表現したり
実践してすぐ反応が返ってくるので、ストレスがすくなくなった。


 ストレスとは、現状をよりよくしたい向上心の副産物なのかな?
だとしたらいい物じゃないか?

争い事

この文章を読む方に私は、あまり歴史を知らないので違っていたら悪しからず。

 


 アメリカ


自由主義の衣を着た世界一のわがまま国


アメリカ人といえば、もともとヨーロッパから来た人間
自由を求め、開拓精神の塊、あらっぽくどん欲
 原住民である、インディアンを悪人に仕立て上げ、
殺しまくって、土地を横取りして、さも正義の味方を装い
とにかく彼らは、争いごとが好きだ。戦争が好きだ。


 アメリカに移って、南北戦争、第二次世界大戦、朝鮮戦争、
ベトナム戦、中東戦争、と休む間もなくどこかで、どこかの
人民と戦争を続けている。無類の戦争好き国民である。


選挙でも強いアメリカを示した人間が勝つ。


 どんな手段を使っても相手に勝ちねじ伏せてからあめ玉を与える。
民主主義は、戦争の延長にあってはならない。


 ソ連も崩壊し、中国も民主化へそんな時代にもう戦争や、武力制圧は、
いらない、気付よアメリカ

 


 しかし話は変わるが、ソ連の崩壊や、中国民主化、北朝鮮の独裁政治
を見ていくと人間は、経済的に平等が無理ならしい。

人間本来の欲が、
それらを邪魔する。狡猾な人間が利用するには、恰好の隠れ蓑になるらしい。


 共産党や社民党などは、とにかく何でも反対する。わがままな人間の
集まりであるだけだ。共産党などは、内部締め上げによる意見統一
社民党に至っては、中身のない反対、何のポリシーもない。

 


 全て時間がたてば歴史が語ってくれる。いろんな見方によってである。

人はなぜ山に登るのか?

人はなぜに山に登るのか?パート2

 


答えは、現在、過去に山に登ったことがある人は、
分かっていると思う。ただ口に出したり、書いたりできない


それに100人100様だと思う。


私もこれまでいくつか定義つけたこともあったし、
書物などで、これだなと思ったことはよくある。
最近思いついたのは、人はやがて子供に返る。
子供の頃無心で、自分がおもしろいと思ったことに
没頭する。


そういう状態になれるから、とにかく一つおもしろいことを見つけたら
とことんあきるまでやる。よけいなことを考えない。


怪我をしないか?合理的であるか無いか、自分だけしかやっていないとか、
損得、体力の消耗、人に笑われないか?


大人は行動する前に考えすぎる、計算する。素直でない
そんなこんないろんな事を考えないようになる、考える必要がない。


山に対して自然に対して人に対して、素直に向き合い行動でき表現できる。


ただ「山登りをしている人に悪い人はいない。」は、ないだろう。
新田次郎の小説にもその事を表現している。


ひとはなぜ・・・・このテーマを何度も追求するのか
それにも答えがあるように思う。

花は、山好きになる大きなきっかけになった。


10年ほど前にそれまで、伴侶と自分の子供が所属する少年サッカーチームの世話を主体に休日いつも一緒に出かけていたが、


その子供も2人中学に進学すると、親の手から離れてしまったので、


なにもすることがなくなりさてどうしようかと言うことで、手っ取り早く


ドライブ、とにかく家にいても落ち着かないので出かける癖が付き
その延長に山がある。

 


 ある日行きつけの整骨院の先生にどこかハイキング
(お金をかけない遊びでおもいついた)でいいところがないか
聞いたところ、「富山の白木峰という山があるから行ってみるといいよ」


とのことで、ズックに子供のお古のザックにおにぎりと水筒をつめて
先生から聞いたように駐車場から1時間ほど歩くと山頂についた。


 ただ山は初めてなのと最近ほとんど運動らしいモノをしていなかったので
結構いい汗をかいた。


 頂上付近には、ニッコウキスゲが、目に入る草原一面に咲いていた。
今思えば、近年一番いい時期だったのだろうと思う。


 私は、今まで花にほとんど興味がなかったが、このニッコウキスゲ
という花は、大降りで色も真っ黄、鮮やかであり強烈なインパクトを与えられた。


私のその時の印象は、なぜこんなきれいな花屋でしか見られないような花が、
自然に山の中に誰にも採られずに咲いているのか不思議と同時に感動した。


 それ以来、花にみせられ山に登り花の写真を撮るに夢中になって、
図鑑を買って花の名前を覚えるのに没頭した。


 それから山が好きになり冬山にも行きたくなり、スキーも楽しむようになった。
山登りのきっかけは、花であった。

ボイスレコーダー

ボイスレコーダー
前からほしいと思っていた。消費ストレスの悪化だ。


とにかく50歳すぎてから、年ごとに物忘れが進む。
3分前に思っていたことをメモをとらないばっかりに忘れる。


最近もっとひどくなって1分を切っているようだ。
でもまだ忘れたことに意識がある内は、ましなのかな?


山に入っても忘れ物は、かならずある。それもかなり重要なモノであったり
予備まで用意して、それごと忘れるとか、キャリヤにスキーを乗せて
ストッパーをかけずに発車して、スキーがぶっ飛んで何事が起きたんかいな
と思いきややっとストッパーがかけてないことに気が付く


よく昔、年配の人がそういうことを言っていたが、その言葉を自分が
実感を込めてはくようになった。


まだ買ってないが、ボイスレコーダーが必要だろうと思う。

 


話は違うが、自分の声を聞く機会って、私の場合ほとんど無いが、
たまに留守電に入った自分の声を聞くと、とても自分の声と
認めたくないが、兄弟や身内の声にそっくりなのに気恥ずかしい。


自分の声を聞くのにためらいがあってなおレコーダーを買わないできたのかな